ステーションの歴史

 茨城県県水戸市の南方約10kmに位置する涸沼(ひぬま)は汽水湖として古くから注目され,1920年代よりニシンの研究を始めとして生物学的・湖沼学的研究がいくつかなされてきました.茨城大学が設立された1949年に湖畔の民家の物置を借りて湖沼研究室が作られ,卒業研究も実施されました.1956年11月,涸沼北岸の茨城町中石崎に地元の好意で土地を寄贈してもらい,本造平屋建の涸沼臨湖実験所が建設されました.1967年6月,文理学部改組による理学部発足と同時に,理学部付属施設として認められ助手定員1名がつきました.学生および研究者の利用が増加するにつれて敷地や建物が狭くなったこと,観光地として風向明媚な場所に接しているという不利な研究条件を改善することなどが要求され,我が国第二の湖沼である霞ヶ浦水域への移転が検討されるようになり,1970年6月,北浦南西部の潮来町大生湖岸に186m2の鉄筋ブロック平屋が建設され,北浦の調査研究に利用されてきましたが,1972年5月,涸沼より移転を完了し,潮来臨湖実験所と名称を変更し,助教授定員が1名つきました.さらに,近隣の国有地9,960m2が大蔵省より所管換えになり,1976年7月,研究・実習・管理・宿泊室を含む鉄筋コンクリート2階建630m2の現在の建物が建設されました.

 年号が平成になり,理学部の改組に伴い水環境を研究対象とした新たな全学共同利用施設としてのセンター化が模索されました.同じ頃,工学部でも水際線環境に関する研究センターの設立構想が要求されていました.茨城大学将来構想委員会が1995年1月に決定した茨城大学のマスタープランに地域環境科学教育研究センター(仮称)の設立が盛り込まれたことに基づいて,理学部付属臨湖実験所の発展的解消を基礎に,理学部2名,工学部2名の教官の転換による概算要求が出されました.1997年4月,新たに広域水圏環境科学教育研究センターという名称で,陸水域環境自然史分野と沿岸域環境形成分野からなる環境教育・研究を行う学内共同利用施設として再出発しました.この時点での専任教官は学内から転換の3名でしたが,1998年4月には2名が着任し,専任教官5名が揃いました.

 令和2年4月には,広域水圏環境科学教育研究センターと地球変動適応科学研究機関が組織統合し,「地球・地域環境共創機構」として再スタートすることとなりました.当機構は,急速に進む環境変動に対して,地域環境及び地球環境を対象にしたフィールド科学から予測・政策科学までを含む総合的な研究を推進し,環境問題の解決を目指して持続的な環境の共創に関する教育研究及び社会連携の機能の強化を図り,地域に根ざした環境分野の先進的拠点を形成することを目的としています。この機構内に,臨湖実験に関する教育研究施設として「水圏環境フィールドステーション」が設置されました.現在,ステーションに属する専任教員の専門分野は陸水生物学,魚類学,地質学・堆積学,空間情報工学,海洋学であり,各分野の融合を図りつつ様々な環境問題の教育研究に取り組んでいます.

ステーションの年表

  • 1949年  茨城大学設立時、涸沼湖畔の民家の物置を借り、涸沼研究室を設置
  • 1956年  涸沼北岸(茨城町中石町)に木造平屋建の涸沼臨湖実験所を設置
  • 1967年  文理学部改組による理学部発足と同時に理学部付属施設となる。
  • 1970年  北浦の南西岸(潮来市大生)に鉄筋ブロック平屋の臨湖実習施設を建設
  • 1972年  涸沼より移転を完了し、潮来臨湖実験所と名称変更
  • 1976年  北浦の湖岸から近隣の国有地(潮来市大生)に鉄筋コンクリート2階建の臨湖実習施設(現在の本館)を建設
  • 1997年  全学共同利用施設「広域水圏環境科学教育研究センター」となり、陸水域環境自然史分野」と
  •       「沿岸域環境形成分野」からなる組織に改組拡充
  • 2020年 学内の組織統合を経て、「地球・地域環境共創機構 水圏環境フィールドステーション」として再スタート

潮来臨湖実験所 写真.1970年代の潮来臨湖実験所 (菊池昶史氏 撮影)